八千代工業株式会社
今田毅さん(仮名・営業) 38歳
「広島で家族みんなと暮らす」あたり前の日常に心から幸せを感じる。
大手医療機器メーカーに在籍し、都内で働いていた今田さんは、広島の実家の事情もあって、毎週末、単身赴任先の東京から広島の自宅に帰省する生活を送っていた。過去に2度、Uターン転職を考えて行動を起こしたこともあったが、その時は転職の決断はできかったという。
しかし、コロナ禍で状況は一変し『広島で家族みんなと暮らしたい』という想いが強まる。
3度目の転職活動で、以前は見えてこなかった「自分の中で一番大事にしたいこと」が明確になったという今田さんのUターン転職体験談を紹介する。
※本記事の内容は、2021年2月取材時点の情報に基づき構成しています。
- 過去の
転職回数 - 0回
- 活動期間
- エントリーから内定まで573日間
転職前
- 業種
- メーカー(医療機器)
- 職種
- 手術用機器の国内マーケティング
- 業務内容
- 既販製品に関する市場・販売状況の分析、全国販売施策の立案・展開。新製品の導入準備、販売戦略構築、セールスの活動支援、プロモーションイベントの企画・運営等
転職後
- 業種
- メーカーベンダー(手芸品、日用雑貨など)
- 職種
- 営業職(現在は開発部にて研修中)
- 業務内容
- 海外の取引先工場を担当し、自社で企画した商品の発注やQCD(品質・コスト・納期)の管理、輸入業務など
「人生がいい方向に行ってほしい」と願ってくれるコンサルタントとの出会い。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
手縫針の製造を起源に手芸用品を中心としたメーカーベンダーである八千代工業株式会社の開発部に所属しています。本来の所属は営業本部ですが、八千代工業のモノづくりの流れを理解する目的で、現在は開発部にて約1年間の研修を受けています。
当社は手芸用品以外にも、家庭用品、日用雑貨、文具・玩具、レジャー用品、園芸用品など幅広いカテゴリーの商品を取り扱っていますが、取扱商品の約9割は海外から輸入しており、それを国内のホームセンターや100円ショップなどに販売しています。
そんななかで開発部は海外の取引先工場を担当し、自社で企画した商品の発注やQCD(品質・コスト・納期)の管理、輸入業務などを担っている部署です。
入社前のご経歴を教えてください。
大学を卒業後、大手医療機器メーカーに新卒で入社。入社後8年間ほど手術用機器のセールスを経験した後、国内マーケティング部門にて、既販製品に関する市場・販売状況の分析、全国販売施策の立案・展開、大型新製品の国内導入を担当しました。
その後、医師との産学連携活動やクリニカルニーズの収集・分析を統括する新規部署にてチームリーダーを経験し、再度国内マーケティング部門にマネージャーとして帰任しました。
転職のきっかけは?
今回が初めての転職なのですが、実は転職活動は3度目でした。1度目は父親が病気になったことがきっかけだったのですが、すぐに転職すると決めていたわけではなく「動いてみて、もし縁があれば考えよう」、といったスタンスでした。
当時は新規部署のリーダーとして業務も多忙でしたので、転職活動との両立が難しくなり、興味を持ってくれた企業もあったのですが、一旦活動を中断することにしました。
ただ、その後父親が他界。さらには母親も手術をすることになり、そのサポートのために家族が広島に移り住んだことで私が単身赴任生活になりました。
当時、私もほぼ毎週末、東京から広島に帰省する生活を送っていたのですが、そうした大きな私生活の変化のなかで「やはり広島で働き、家族と一緒に生活をしたい」という気持ちが強くなっていきました。そして、2度目は1度目以上に強い意志で本格的に転職活動を行いました。
転職活動はどのように進めましたか?
1度目の転職活動では、大手エージェントに登録して活動を行っていたのですが、その中で感じたのが「永続的に広島で暮らしていきたい」という私のニーズに合う求人がほとんど無いということでした。
最初の勤務地が広島というだけで、将来的には転勤の可能性がある求人ばかり。2度目の転職活動でも、当初はまったく同じ状況で、このままでは自分が希望する転職は実現しないと感じました。
そこで、広島に特化した転職支援会社がないかといろいろ調べる中で見つけたのがリージョナルキャリア広島でした。コンサルタントの瀬川さんに面談をしていただいたのですが、それまでに関わった他の支援会社の方々との違いが印象的でした。
1度目の転職活動以降、大手や地域特化型など複数の転職支援会社の担当者とやりとりをしましたが、「転職してもらいたい」「選考を受けてもらいたい」という先方の気持ちが全面に出ている方ばかりでした。
しかし瀬川さんは、私が置かれている状況や気持ちをまず理解しようとしてくれて、「転職してほしい」ではなく「人生がいい方向に行ってほしい」と思ってくれている、と強く感じました。
実際に献身的に活動をサポートしていただき、広島本社の企業2社から内定を獲得できました。ただ、前職との条件面などを比較し、悩みに悩んだ結果、その2社の内定を辞退し、「転職をしない」という結論を出しました。Uターンして家族と生活するという結論には至らなかったんです。
それでも、やるだけのことをやった上で、自分自身によって選択することができ本当に良かった、そう思えました。瀬川さんも私が出した結論を尊重してくださり、辞退したにもかかわらず、大変温かいメッセージまでいただきました。
その後、なぜ転職活動を再開したのですか?
「転職はしない」と結論を出してからの1年間は腹を決め、単身赴任と週末の帰省という二重生活にも折り合いをつけてやっていました。ところが、新型コロナウイルスの感染拡大で状況が変化。会社が在宅勤務となり、上司の許可を得て広島の自宅で仕事をするようになりました。
ほとんどの週末には帰省していたとはいえ、「広島で家族と暮らす」経験は初めてで、在宅勤務の長期化とともに折り合いをつけていたはずの二重生活に戻ることが難しいと感じるようになりました。
何より、毎日家に父親がいることが子どもたちの日常となり、その日常を守りたいという気持ちが強くなりました。もちろん私自身も家族との暮らしを続けていきたいと思いました。そして、再度瀬川さんに相談をさせていただくことにしました。
前回の転職活動を終えた際、万が一またお願いすることがあれば、必ず瀬川さんに相談しようと決めていました。前回地元企業のオファーを複数辞退したことに加え、コロナの感染拡大もあり、転職できないことも覚悟していましたが、瀬川さんにお願いしても決まらなければ、「それが自分の運命だ」、くらいに思っていました。
何を一番大事にしたいのかを明確にすれば、おのずと道は拓けてくる。
今の会社に決めたポイントは?
正直に言うと、規模も業種も職務内容も前職とはまったく違いますから、紹介をいただいた時は戸惑いがありました。しかし社長と会って「この方のもとでなら頑張ってみたい」、と思えたことが大きかったです。
前回の転職活動で内定を獲得した会社からも「ぜひ来てほしい」「期待している」といった言葉をいただきました。しかし、具体的に私に何を期待しているのか分からず、入社後のキャリアプランも「入ってから考えていきましょう」、という感じでした。
一方で現職の社長はその点について、会社の現状も踏まえて具体的に説明してくれて、その上で「力を貸してほしい」と言ってくれました。他業種に入っていく上で大変イメージを持ちやすかったですし、社長が会社をより良くしていきたいと思っていることを強く感じ、入社を決めました。
転職して良かったと思うことは?
社長や経営層の方々が会社をより良くしていきたいと思っているのが伝わってくることと、思うだけではなく実際に取り組んでいることです。そんな経営者のもとで働くことができるのは本当に良かったと思います。期待に応え、自分の役割を果たしていきたいです。
生活面の変化はありましたか?
前職で在宅勤務となってからは広島で家族と生活できてはいましたが、本社への出社や地方出張に出ることも少なからずあり、東京に戻ると1~2週間帰れないということもありました。転職したことでそういったことが無くなり、家族と毎日一緒にいられるというのは大きな変化ですね。
仕事を終えて帰宅し、子どもたちとお風呂に入り、みんなで一緒に食事をする。それがあたり前の日常になったことに心から幸せを感じています。
また、私はよく母や兄弟と一緒に食事に行ったり遊びに行ったりするのですが、以前は私が広島にいないことが多かったので、私の予定を確認してからの調整となっていました。
でも今は、いつでも気兼ねなくお互いに声をかけることができます。つい先日も、「今、子どもたちを公園で遊ばせているんだけど来ない?」と兄から連絡があったので、すぐに子どもを連れて合流しました。そんな小さな変化一つひとつが嬉しいです。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
自分の中で何を一番大事にしたいのか、そこが見えてくると決断に繋がると思います。それが明確になっていないまま求人を見て比較検討しても、本質的な解決には繋がらないと思います。
私自身、長い活動期間の中でその軸が明確ではなかったり、時にはブレたりもしましたが、最終的に「家族との生活」という答えにたどり着きました。そこが明確になると、おのずと道は拓けてくるのではないでしょうか。