株式会社広島銀行
浅野晃平さん(金融コンサルタント) 34歳
証券会社でキャリアを積んだ34歳。金融マンの理想と思える仕事が地方銀行にあった。
証券会社の投資銀行部門でTPOやM&Aといった花形業務に携わってきた浅野さんは、同部署での10年の節目にライフプランとキャリアプランを再検討する。来た道をこのまま行くか、別の道へと舵を切るのか。視野に入ってくるのは、やがて来るであろう親世代の老いの問題だ。岡山出身の自分と、広島出身の妻と、東京を離れて故郷に戻るなら、あまり遅くなりすぎない方がいい。それが無理のない結論だった。そして「いい会社が見つかるまで、1~2年かけてゆっくり探すつもりだった」という浅野さんが、転職活動開始からほどなくして出会ったのは、理想の新天地だった。(※本記事の内容は、2017年5月取材時点の情報に基づき構成しています)
- 転職回数
- 0回
- 転職期間
- エントリーから内定まで2ヶ月
転職前
- 業種
- 証券会社
- 職種
- 投資銀行業務
- 業務内容
- 金融商品の販売、IPO・M&Aのコンサルティング
転職後
- 業種
- 銀行
- 職種
- コンサルティング業務
- 業務内容
- 顧客の経営全般に関するコンサルティング
両親の近くに戻るなら、転職のベストタイミングで。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
銀行で法人向けのコンサルティング業務に携わっています。顧客企業について子細な調査を行って強みと弱みを明らかにした上で、その会社の課題と伸ばすべき強みを一緒に考えていく。融資や金融商品の販売につなげるためではなく、メインバンクとして支えていくためのコンサルティングをするという点で、いわゆる銀行の通常業務とは少し異なるかもしれません。前職の証券会社での勤務経験が活きる面もありますが、ずっとIT業界に特化して関わってきたため、その他の業界知識はほぼゼロからのスタート。未知だった業界のビジネスの厳しさを目の当たりにしながら、日々勉強で楽しく仕事をしています。
入社前のご経歴を教えてください。
岡山県内の高校を卒業後、東京大学から野村證券に就職しました。入社1年目に京都支店に赴任しましたが、その後10年間は東京の投資銀行部門に勤務。最初の3年半が株式公開、いわゆるIPOの顧客開拓業務で、次の1年半は上場会社にファイナンスやM&Aのご提案をする仕事でした。それからM&Aの専門部署で1年半働き、最後の3年半は総務企画部門で計数管理や経営層のサポート業務をしていました。
転職のきっかけは?
証券会社の投資銀行部門で10年間仕事をし、一通り経験させてもらったという区切りのような感覚がありました。ふと立ち止まって「これからどうしよう」と考えた時に、これから年を取っていく親のことも当然視野に入ってきました。私が岡山県出身、妻が広島県出身と実家が比較的近いので、「動ける時に親の近くに動くのもありだよね」と。私の親も妻の親もすぐに介護が必要という状況ではないのですが、周りの人から、そういう状況になってから戻ろうとしてもなかなかいい仕事との巡り合いがないという話も聞いていました。それで、まずは転職先を探してみて、いいご縁があれば決めようという気持ちでした。
転職活動はどのように進めましたか?
岡山か広島かといえば、経済規模的にも広島だろうと考え、広島県にUターンをしたいということで検索をかけたところ、一番にヒットしたのがリージョナルキャリア広島でした。広島に特化した転職支援会社なら、全国をカバーしている所よりも非公表情報を含めて詳しいのではないかと考え、コンタクトを取りました。その時は「いつかは広島に帰りたいと思っているので、どこかいいところがあったら教えてください」という程度のアバウトなオファーでした。それから担当の方とテレビ電話で「やはり金融業界の経験を活かすなら広島銀行でしょうか」といった話をしたのですが、たまたまそのタイミングで広島銀行の募集があり、2度の面接を経て採用が決まりました。1~2年かけてゆっくり考えながら探すつもりでいたので、こんなに早く決まるとは思っていませんでした。本当に巡り合わせが良かったと思います。
今の会社に決めた理由は?
1回目の面接の時に今の部署の上司と話をしたのですが、金融商品を「売らんかな」の姿勢ではなく、真摯にお客様と向き合っていこうという姿勢に共感しました。こういう金融機関の姿はすごくいい、理想的だなと思い、その後はこちらとしてもぜひ入社したいという意思を伝えました。これまで自分が歩んできた道と、今の部署の目指す方向性がつながっていたのは本当に幸運だったと思います。融資や金融商品を売るためではなく、銀行が企業経営をしっかりとコンサルティングしていくという流れは、今でこそ金融庁が旗振り役となって業界全体で推し進めようとしていますが、広島銀行の今の部署は10年以上前から取り組んでいたのです。そんなことも全く知らずに採用面接を受けたのですが(笑)。
金融畑を歩んできた自分にとって、理想的な仕事と出会えた。
転職していかがでしたか?
入社して約9カ月が経ちましたが、面接時に受けた印象と全く違いがないことに驚いています。入ってみたら予想と違うことも多少はあるのではないかと思っていたのですが、びっくりするほど、ありません。仕事への取り組みや企業姿勢において、金融機関としての一つの美しい理想を体現しているように感じます。非常に幸せな転職をさせてもらったと思っています。現在は、先輩や上席のサポートを受けながらではありますが、自分の担当企業を持って業務を行っています。その中の1件が「やっと9合目まで来たかな」というくらい足が長い仕事。なんとか登頂までこぎつけて、旗を1本立てなければと思っています。
転職して良かったと思うことは?
目先の収益を追わずにお客様としっかり関われることは、金融に関わる人間として理想的だと思います。信用していただき、どうしたらいいかを損得抜きで話ができる。ちょっと青臭いと思えることが実際にできるわけです。前職の場合、仕事の目的は「証券ビジネスに結びつける」ことでした。コンサルティングといってもそれほど深く入り込むことはなかったし、その必要もなかった。しかし、顧客の懐に入ってみると、見える知識も違うし勉強になることも多いので、すごく刺激的ですね。
困っていることや課題はありますか?
前職は在宅勤務の環境が整備されており、家のパソコンからログインして会社のサーバーにアクセスできたので、早めに帰宅して子どもの世話などをしてから残っていた仕事を片付けることもできました。その点では、今の方が会社にいる時間は長いかもしれません。こちらの人はよく働くなあ、というのが率直な感想です(笑)。働き方改革で時間管理が厳しくなる中で、こうした状況は改革の余地があるのではないかと思います。その辺りは中途入社した者の視点として、会社に提言していければいいですね。仕事の面では、これからも長くこの部署で1件でも多く旗を立てたい。そしてその後もさらに長いスパンで寄り添っていく経験を積み、将来的には、経営者の参謀役として語り合えるような知見を持ちたいですね。
生活面の変化はありましたか?
妻も仕事を持っているため、先に転職の決まった私が一人で赴任。しばらく単身生活をしていましたが、妻もリージョナルキャリア広島を通して広島で転職先が決まり、少し遅れて子どもと一緒に移住してきました。その意味ではやっと元の生活に戻って落ち着いたところです。広島市の中心部にある社宅に住んでおり、地方移住という感覚は全くありません。広島で暮らすのは初めてですが、食べ物が本当に美味しいですね。特に魚が美味しくて、「こんなに魚が好きだったかな」と思うくらいです。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
新卒者に言うようなことですが、やはり自分の強みと弱みをしっかり語れることは大切です。10年も仕事をしていると、自分のキャリアにも手垢がつき、本当の強み・弱みが見えなくなることもある気がするのです。だから一度棚卸しをして、「自分の強みは何か」、「どういうところを活かせるのか」をよくよく考えれば、自ずと行くべき会社、行ける会社が見えるのではないでしょうか。私の場合は、やはり金融を10年もやったんだし、その道で行くしかないだろうと。そうやって腹をくくると、面接での迫力も変わってくるように思います。今の仕事を通して感じるのは、経営者にはそれぞれ、欲しい人の形があるということです。ですから自分の形を正しく認識して、相手が求めている形にはめこんでいってみると、形の合う所に出会えるかもしれない。私の場合は幸いにもピタッとはまりました。広島県の経済のことを言えば、全体的には良い状況です。経営者の方は二言目には「人がいない」と言っていますし、求人倍率も高いので、ぜひ東京から良い人材に入ってきて欲しい。「そろそろ東京は・・・」と感じている人に、広島という働き場所を考えてもらいたいですね。